前回4年生編をお話ししましたが今回の6年生編が本命です
しかもこれは子どもではなく大人が原因です
君臨する女帝
登場人物
今回の登場人物をはじめに紹介しておきます
6年担任F先生(女帝)
学級経営は今まで見た中でもダントツNO.1
しかし、子どもへの思い入れが強すぎて
事務仕事等がおろそかになりがちでした
6年担任K先生(敏腕教師)
F先生の動きを先読みして必要なことを事前に行いながら
自分の仕事もこなし残業をほとんどしない化け物
ゆう
教育現場1年目の右も左も分からないお荷物
特支担任H先生(超敏腕ベテラン)
特支に関しては超一流
自治体でも有名
ベテランということもあり
事務仕事が遅い
主にこの4名が登場人物です
このF先生とH先生は犬猿の仲でした
職員室の席の配置はこのようになっています
H先生側に管理職の席が
ぼくは教務と向い合せです
ぼくの後ろはロッカーで教務の後ろは通路を挟んで低学年の席がありました
1学期
4月当初は4年生に入ることが多くあまり6年生に入ることはありませんでした
しかし、F先生とH先生は仲が悪かったため
連絡等もすべてぼくを経由して行っていました
ただこれが功を奏して
どんな仕事を行っているのか
仕事はどのように流れているのかなど
1か月の間に把握することができました
K先生はかなり優秀でF先生のサポートとして完璧だったため
K先生が出張等でいない時もパソコンの使い方等でわからないことを聞かれる程度でした
※2年目はこのK先生の役割がすべてぼくに来ます・・・
夏休み
修学旅行の下見でF先生とK先生と一緒に
出張に行く機会がありました
その準備の資料等の用意をぼくがしたのですが
内容や速さがF先生のお眼鏡にかなってしまい
K先生と合わせていろいろ頼まれるようになってしまいました
地獄が始まったのです
2学期
仕事を頼まれても
特支の仕事と合わせて定時内にはほとんど終わっていました
それがよくなかったのか
振られる仕事は日に日に増えていきました
このことによって2つ地獄が始まりました
1つ目
特支の方の仕事は疎かにもしていませんし
打ち合わせ等もすべて行っていました
それでもH先生よりF先生から
振られる仕事の方が多いので
必然的にF先生と話す機会が多くなりました
そのことをよく思わなかったH先生はだんだんと
ぼくに対するあたりが強くなりました
2つ目
F先生から振られる仕事はぼくにとって
初めての仕事ばかりでした
はじめのころは量が少なく過去の資料や
先輩の意見を基にこなしていましたが
量が増えることによりだんだん粗が出てきました
今までそれなりのクオリティで仕上げていたのに
慣れてきて手を抜き出したと
勘違いしたF先生もあたりが強くなりました
僕は内心
「いやこれお前の仕事やろ。やり方も伝えずに文句ばかり言いやがって」
と思っていましたが女帝には言うことができませんでした
(以前揉めた先生はその後追い詰められて休職しました)
だんだん帰る時間も19時、19時30分、20時と遅くなっていきました
その間も2人の間に入りながら2人から
あれやこれやいろいろ言われていました
そして3学期の卒業前に事件が起きました
3学期
6年の子には2学期から僕がずっとついて行ってました
(その裏で4年にも行っていたのでほぼ付き添いで1日終わってました)
3学期が始まったある日です
卒業式にむけての動きに対して
F先生とH先生の考えが合わずに職員室で喧嘩が勃発してしまいました
もともと今までたまっていたこともあった2人の
喧嘩をとめるのは大変で1時間かかってようやく止めることができました
今思えば謎ですがそのときのぼくは
「もっと自分が上手く間に入っておけばこんなことにならなかった」
と本気で後悔していました
その日の夜F先生とK先生とのラインのやり取りです
(H先生はその日遅くまで2人で話し合いました)
お疲れ様です。
今日は申し訳ございませんでした
僕がもっと橋渡し役として動いていればと反省しています。
今後なにかあれば、積極的にお聞きし僕のできる範囲でサポート入らせていただきます
ラインで申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いします
お気遣いありがとう。ごめんね。若いゆう先生に気をつかわせてしまい申し訳ないです。学年の仕事で正直いっぱいいっぱいで、K先生と毎日連携しながら頑張っています。そんな中、ゆう先生には助けてもらってるところもあり本当に感謝しています。ありがとう。ゆう先生のように常に学年に関わってくれている方から文句を言われるなら筋が通っているのですが、全く関わってない方から今日のように言われるのは正直心外でした。しんどい1日になりましたね。また明日からも切り替えてがんばりましょう
お疲れ様です
今日はすみませんでした
もっとできることがあったのではないかと
反省しています
明日からまた6年への付き添いで
入らせていただきますので
改めてよろしくお願いします
こちらこそ気を遣わせて申し訳ない
1年目のゆう先生にF先生もH先生も
あそこ迄求めてるのは正直無茶やと思う
ゆう先生やからなんとかなってるけど
他の先生なら間違いなく2か月で休むで
正直こちらとしても特支級のほうに
気が回っていませんでした
もう少し頑張ります
板挟みになってしんどい思いさせてごめんね
今思い返してみると特支担でありながら6年へ傾きすぎてたなと思います
(そうせざるを得なかった現状もあったのですが・・・)
無事この後卒業式までいくのですが
この日を境に僕の身体はおかしくなっていきました・・・
2年目
4年生編にも書いたように2年目も特支学級の担任になりました
僕の希望は普通学級の担任で出しており
特支担任の希望は一切出していませんでした
しかし、Bさんの保護者対応と合わせて
F先生とH先生の間の橋が他にいないとのことで
1年目と変わらないポジションになりました
F先生もH先生もぼくも席は変わらずでした
F先生は5年生の担任になり
Bさんのこともあり
昨年よりいっそうF先生と関わるようになりました
昨年まで学年で組んでいたK先生の役目がぼくにまわってきました
F先生の動きを先読みしてサポートする
しなければ殺される
さらにH先生にF先生のサポートをしているのを
あまりばれないようにしなければ
ばれたら殺される・・・
究極の板挟みの緊張感の中仕事していました
もちろん子供の前で先生に怒鳴られたり
仕事ができてなくて怒鳴られたりしました
(どれもこれも本来僕の仕事ではなくF先生の仕事)
本当に断ることができず
管理職も手を出せない独立国家状態でした
そして昨年度からの身体の異変ははっきりとした形ででました
- 胃潰瘍
- 胃酸過多
- 過敏性腸症候群
- 逆流性食道炎
- めまい
- 突発性難聴などなど
体重も67キロあったのが62キロまで落ちました(身長は180cmです)
ストレスからくる病気にかわるがわる襲われました
それでも頑張れたのは
採用試験に合格していたので異動がほぼ100%決まっていたからです
(この環境でも採用試験に合格できたのはこちらの記事から)
高校だと受かる気配がなかったのと
小学校の子供たちが可愛かったのと
早く合格したいと思いそれまで高校を受けていたのをやめて
小学校を受け無事合格しました
話がそれましたが
病気は3学期末まで続きました
ご飯を食べたくても食べられなかったりと
本当に大変でした
そんな中でもなんとか乗り切り
初任校の今の小学校へ異動しました
異動先はすべて単級
職員の数もギリギリのような学校でした
異動先で告げられたのは
「今年情報関係の主任と3年生の担任をお願いね」
「あ、2年生の時学級崩壊しているから・・・」
え?初任って校務分掌は主でもたないって聞いてたけど・・・
学級崩壊してた?え?なんで俺?
ただこれまでの2年を考えると
なんかいけそうな気がしてました
実際4~6月は休校で
6月からスタートでしたが1学期が終わるころには
学級崩壊の影もなくなっていました
T小学校のその後
僕の後釜として4つ上くらいの男性のI先生が入りました
(今でもこの先生とは飲みに行く)
K先生、僕とF先生のサポートの流れができてしまっていたのですが
お世辞にもI先生は仕事が早いほうではなく
また人付き合いもうまくはなかったので
H先生とも、F先生ともめっちゃ揉めているらしいです・・・
Bさんは6年になった少し後に転校しました
離任式では親子そろって泣くほど
別れを惜しんでくれていました
僕の異動がある意味できっかけになり転校したそうです
この2つを受けて
異動するときのフォロー等はしっかりしなければいけないなと学びました
自分が異動した後も
効率よく次の人が仕事をこなせるようにできたらいいなと思い
今現在引継ぎ準備を行っています
まとめ
今まで隠していた裏の部分でしたがどうでしたか
僕はたまたまぎりぎりつぶれずに
今も教職を続けることができています
ただあの時逃げるのもありだったなと思います
一番大事なのは自分の身体です
しっかりと大事にしていきましょうね
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