クラスのリーダーとは誰でしょうか?
子ども?担任?
いろんな考えがあると思います
クラスのリーダーは担任だと思っています
子どもの中にリーダーがいて、担任はサポーターじゃダメなんですか?
最終的に目指す形はそこかなと思ってる
ドラッカーって知っていますか?
一昔前に「もし高校野球の女子マネージャーが・・・」がはやりました
そのドラッガー曰く
「リーダーシップとは組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に確立すること」
だそうです
これは子供ではなく担任の役目ではないでしょうか
しかし、リーダーとは?
何となくのイメージはありますが言語化が難しいですよね
リーダーとは何か
そこに焦点を当てていきたいと思います
リーダーとボスの違い
まずリーダーは2種類のタイプがいます
1つはまわりの熱意を引き出しあるべき方向へ導く「リーダータイプ」
もう1つは恐怖を与えて支配し命令をする「ボスタイプ」
どちらもまとめることはできます
しかし、求められるのは「リーダータイプ」ですよね
自分の学校の上司はどちらのタイプでしょう
なんとなくですが「ボスタイプ」まではいかなくても
それに近い人多くないですか?
以前からかなり有名ですが
2020年春のトヨタ労使交渉で前社長が言ったリーダーとボスの違いです
ボス | リーダー |
私という | 私たちという |
失敗の責任を負わせる | 黙って処理し、失敗から学ばせる |
やり方を胸にひめる | やり方を教え育てる |
仕事を苦役に変える | 仕事をゲームに変える |
やれと命令する | やろうという |
ブロック企業はボスが当たり前のようにいますが、今の若い世代には刺さりません
ボスのようなやり方をしている職場では離職などが多く
若手が育たず、徐々に職員不足に悩まされる職場へなっていきます・・・
それって今の教育界では・・・
厄介なのがさきほど職員室にいるタイプでボスが多そうと話しましたが
実はあからさまなボスではなく
シークレットボスなのです(勝手にそう呼んでます笑)
シークレットボス
これはかなり教育界に多いのではないでしょうか・・・
担任が目指すリーダー像
僕の心に残っている言葉でこんな言葉があります
私が自分だけのために働いているときには、
自分だけしか私のために働かなかった。
しかし、私が人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれたのだ。
ベンジャミン・フランクリン
我われが目指すリーダーとは「誰かのために行動できる人」であり
自分自身だけではなく、子どもや学校全体の幸せに目を向けられる人ではないでしょうか
ぼくが常々思っていることなんですが
教育書や実践書のようなものってたくさんありますよね
それを読んで「いいな」と思ったものを実践する
しかし、上手くいかない
一度は経験あるのではないでしょうか
なぜうまくいかないのでしょうか
その実践をやりたいのは誰ですか?
子どもですか?自分ですか?
学級経営で一番大事な
子どもにベクトルがちゃんと向いていますか
こちらがやりたいことを押し付けても
子どもはやりたがりません
「自分がしたい」という思いばかりで先走るのではなく、
「これは、子どもたちにとって必要な実践なのか」
ということを意識することが必要なのです
学級経営に落とし込んで
『一流の育て方』の著者〈ミセスパンプキン〉をご存じでしょうか
その方の言葉にこんな言葉があります
子どもは、教師の言うことは聞いていない
目の前の教師が、どう行動するかを見て真似する
子どもは鏡なのです
子どもの姿はあなた自身の姿を反映したものになります
例えば年度初めに「クラス目標」を決めます
その目標を到達するための一番の近道は
担任がそれに通ずる行動を見せ続ける
ということです
以前Twitterで
隣の担任は言葉遣いがきれいだからか
子どもたちの言葉遣いが毎年きれいになる
というツイートを見ました
まさに「行動を真似る」ですよね
大事なのは子どもたちが
無意識にその行動ができるようになるということです
しかしその行動は自分のためだけではなく、子どもたちのため、学校全体のための幸せのために。
つまり、ベクトルが相手に向かっていないといけません
「相手意識に基づいた行動」
をし続けることが大切なのです
それが子どもたちに浸透したとき担任は初めて「サポート」する側にまわれるのではないでしょうか
まとめ
学びに熱心な先生、まじめな先生ほど視野が狭まり、突き進んでしまう可能性があります
しかもTwitterやSNSではそういった先生が多いように思えます
それ自体は素晴らしいことです
ただそこに、子どものためというベクトルの方向だけを間違わずに
成長し続けることが大切なのではないでしょうか
コメント